誰かを見ていて、自分が小さくなったような気持ちにはならない憧れがある。
「自分には絶対にできない」と思うだけではなく、
その人を見たあとで、なぜかこんなふうに思える。
自分も、もう少し頑張ってみよう。
日本のアイドル文化には、ときどきそんな力がある。
若いアイドルがしていることは、普通に考えても十分にすごい。
振り付けを覚える。
複雑なフォーメーションの中で動く。
踊りながら歌う。
強い照明の下で、多くの人に見られながら表現する。
メンバーと呼吸を合わせる。
観客に言葉を届ける。
緊張していても、疲れていても、ステージに立つ。
まだ成長の途中だからといって、その能力まで小さく考える必要はない。
むしろ、
すでにすごいことができる人が、さらに成長していく。
その姿に心を動かされるのだと思う。
手の届かない憧れと、少し近い憧れ
憧れにも、いろいろな形がある。
あまりにも完成されていて、遠い世界の人のように見える才能もある。
それはそれで美しい。
でも、アイドルには別の種類の憧れが生まれることがある。
距離はある。
けれど、成長の過程が見える。
半年前より、踊りが少し鋭くなった。
以前は緊張していた歌を、今では自信を持って歌っている。
MCで言葉に迷っていた人が、いつの間にか観客を笑わせている。
努力が見えるからといって、すごさが減るわけではない。
むしろ、そのすごさが人間のものとして見えてくる。
自分が同じ振り付けを踊ることはないかもしれない。
同じステージに立つこともないだろう。
それでも、
繰り返し練習すること。
うまくいかないこと。
悔しくなること。
もう一度やってみること。
そして、以前できなかったことが少しできるようになること。
その感覚なら、分かる。
していることは違っても、
努力の形には似ているところがある。
「頑張って」
アイドルとファンの間では、
「頑張って」
という言葉がよく交わされる。
あまりにも普通の言葉なので、特別な意味などないようにも見える。
ファンが言う。
「頑張って」
アイドルが答える。
「頑張ります」
それだけである。
でも、その言葉が少し形を変えて、自分のところへ戻ってくることがある。
誰かが本気で努力している姿を見る。
すると帰り道や次の日の朝に、
ふとこう思う。
「私も頑張ろう」
歌ではない。
ダンスでもない。
自分のことを。
試験の勉強かもしれない。
語学かもしれない。
仕事。
創作。
運動。
ずっと先延ばしにしていたこと。
あるいは、少し大変な一週間を何とか乗り越えることかもしれない。
アイドルの努力から、その人の技術を受け取るわけではない。
受け取るのは、
自分ももう一度やってみようと思える気持ちなのだ。
応援するということ
日本のアイドル文化によく似合う言葉が、もう一つある。
応援する。
ただ「好き」というだけとは、少し違う。
うまくいってほしいと思う。
成長してほしいと思う。
夢が叶ってほしいと思う。
その先を見てみたいと思う。
そこには、小さな願いが含まれている。
完成された作品を見るとき、
「良いか、悪いか」
と評価することはできる。
でも、まだ成長している人を見ていると、
別の感情が加わる。
「この人がうまくいけばいいな」
そう思う。
鑑賞が、応援になる。
そして理想的なとき、その応援は一方向では終わらない。
あなたが頑張っている。
だから応援したくなる。
あなたが頑張っているのを見たから、
自分も頑張ってみたくなる。
アイドルがダンスを練習している。
ファンは数学を勉強している。
アイドルが次のライブに向けて準備している。
それを見た誰かは、怖くて出せなかった応募書類をようやく送る。
アイドルが少しずつ人前で堂々と話せるようになる。
それを見ていた人も、次の日の仕事で少しだけ勇気を出す。
同じことをする必要はない。
二人の間を移動しているのは技術ではない。
前へ進むための勢いである。
努力が見えること
今の社会では、努力は意外と見えにくい。
画面に現れるのは、完成したものばかりである。
一枚のきれいな写真の後ろに、何枚の失敗した写真があったのかは見えない。
自信のあるステージの後ろに、何時間の練習があったのかも見えない。
成功だけが、突然そこに現れたように見える。
アイドル文化は、ときどきその逆を見せてくれる。
昔のライブを覚えている。
最初の衣装を覚えている。
緊張していた頃の姿を覚えている。
そして数か月後、
同じような場面で自然に笑っている姿を見る。
成長には「前」と「後」がある。
だから、それが本当に見える。
若いアイドルが身近なロールモデルになれるのは、
していることが簡単だからではない。
すごいことの中に、そこへ至る努力がまだ見えるからなのだと思う。
一緒に頑張る
うまくいっているときのアイドルとファンの関係には、
少しだけ優しいところがある。
ファンがアイドルになる必要はない。
アイドルがファンの人生を代わりに生きる必要もない。
それぞれに別の生活がある。
それでも、ほんの少しだけ、
努力を並べて走ることができる。
明日はライブ。
明日は試験。
あなたも頑張る。
私も頑張る。
一緒に頑張ろう。
大げさな思想ではない。
だからこそ、いいのかもしれない。
人はいつも、人生を変えるような言葉を必要としているわけではない。
朝起きること。
本を開くこと。
少し運動すること。
一ページだけ書くこと。
電話を一本かけること。
諦めそうになったことを、もう一度やってみること。
そんな小さな行動のきっかけで十分な日もある。
励ましは、大きくなくてもいい。
私も頑張ろう
憧れというと、
上を見ることのように思える。
誰かが才能を持っている。
きれいである。
成功している。
自分はその人を見上げている。
でも、憧れには別の方向もある。
前へ進む方向。
誰かの努力を見て、
自分にもまだ途中のものがあると思い出す。
誰かの勇気を見て、
自分にも少しだけ勇気があるような気がする。
誰かが成長している姿を見て、
自分もまだ変わっていけると思う。
それも、アイドル文化がくれる静かなものの一つなのかもしれない。
歌う。
踊る。
練習する。
失敗する。
少しうまくなる。
またステージに立つ。
その姿を見ながら、
ファンは言う。
「頑張って」
そしていつの間にか、
その言葉は少しだけ自分のほうを向いている。
「私も頑張ろう」
良い憧れとは、ただ見つめる相手を与えてくれるものではないのかもしれない。
自分も、なりたい自分に少し近づいてみようと思わせてくれるものなのだ。